ニンジャスレイヤーのすごさ
ニンジャスレイヤーとは何か、について書いた記事は優れた物が散々あるのでここでは自分の感じた「ニンジャスレイヤーという作品のすごさ」について語ってみたいと思う。
※特に、ニンジャスレイヤーに特有で他の作品には見られない点に重点している。勿論、ここで触れている以外にも魅力は無数にある。
1.読者のコントロール力
ニンジャスレイヤーはTwitterという極めて読者と作者の距離が近い媒体で連載されております。
当然、実況用タグ#njslyrでは感想などが絶えませんし、@njslyrアカウントにリプライを飛ばせば作者と直接会話することが出来ます。しかし、翻訳チームは鉄の掟を定めており、原作者とは勿論、翻訳チームも読者と直接会話することはしません。
これは数々の小説家、漫画家がTwitterで問題発言をして炎上を起こしていることを考えると非常に賢い選択で、そもそもニンジャスレイヤーが翻訳チームによる連載というように原作者からワンクッション置いていることも読者と作者を丁度いい距離に保つことに役だっていると思われます。(原作者が実在するかは置いておいて)
代わりに、ニンジャスレイヤーは読者と対話するために@diehardtalesアカウントとザ・ヴァーティゴというキャラクターを設けました。このアカウントは定期的に質問コーナーを設け、キャラクターがその質問に答えるという体裁を取っています。
これにより読者の「こういう展開にして欲しい」といった無茶な要求を抑えつつ、Twitterの双方向性を活かすことができていると考えられます。
2.数年後を見据えた展開
ニンジャスレイヤーという作品そのものは、荒唐無稽な外見に反して、非常に緻密な世界観と絡み合った伏線によって構成されています。ですが、ただそれだけでは他にもある単に優れた作品、というだけで終わっていたでしょう。
ニンジャスレイヤーの物語は2014年7月現在、第三部「不滅のニンジャソウル」まで連載されておりますが、この構成が非常に可塑性、発展性に富んでいます。
というのは、ニンジャスレイヤーが個人の物語では無く、ネオサイタマ、あるいはキョートという都市に暮らす人々全体の物語であり、さらに第一部はフジキドがニンジャスレイヤーとなり、ソウカイ・シンジケートを壊滅させるまでの2年間を各エピソードに切り取った形となっています。
つまり、第一部の話をいくらでも後から書き足せるような構造になっているのです。
これは商品として非常に優れていて、新たに入ってきた読者と古参のファンが同様に楽しめるような形に最初からしてあるのです。
ネオサイタマ、という世界観を最初に作り上げ、それに合った物語を構築していく様子はクトゥルフ神話やTRPGに近いものがあるかもしれません。
3.新たな地平を切り開こうという気概
ニンジャスレイヤーは王道の物語です。明らかにアメリカン・コミックスを参考にしたキャラクターデザインを持ち、特撮ヒーローのように毎回珍奇な怪人が現れ(ニンジャですが)ヒーローに倒されます。
ですが、ニンジャスレイヤーがDCやマーベルコミックスのヒーロー、タイガーアンドバニーのようなそれらのフォロワーと一線を画すところが有ります。
それは、ニンジャスレイヤーという作品自体がアメリカン・コミックスのアンチテーゼとして生まれた作品だということです。
「ぼくらは、アメリカンコミックのヒーロー達が、同じ相手と何十年も戦い続けるあのやり方にまったく納得がいかない。人は闘えば傷つくし、死ぬんだ。それは取り返しのつかない事なんだ。その描写を避けるというのは、その……人間の生命を軽視する事になりかねない。」
— Ninja Slayer (@NJSLYR) 2010, 8月 31
フィル「---非常に大雑把で乱暴な分類をすると、典型的なアメコミヒーローは、三種類に分類される。絶対正義型と復讐型、その中間である自警団型だ。絶対正義型は最もオーソドックスなもので、活動拠点は持ちつつも、積極的に外に出てゆき平和と正義のために戦う 。
— Ninja Slayer (@NJSLYR) 2010, 10月 25
このように、アメコミヒーロー像は複雑化を続けており、個々を軽々しく分類したり論ずることは難しくなっている。それは常に、アメリカと、それを取り巻く社会の複雑化とともにあったし、これからもさらに混沌とした多様化の方向に進むだろう。
— Ninja Slayer (@NJSLYR) 2010, 10月 25
では、ニンジャスレイヤーはどうか? 私たちは物事をシンプルにしたかった。ネット化され監視の目が光り続け、政府や経済ではなく、大衆自身がIRCとBBSで自らの首に巻きつけようとする見えない首吊り縄を、カウンターする為である。社会は悩み進歩すべきだが、個々人がセプクしてはいけない。
— Ninja Slayer (@NJSLYR) 2010, 10月 25
私たちがやりたいことは、第四の型、ニンジャ型ヒーローを、ここアメリカで発明し提唱することなのだ -」
了
— Ninja Slayer (@NJSLYR) 2010, 10月 25
これらの原作者の発言からだけでも、ニンジャスレイヤーはこれまでのヒーロー論を超えることを目的として作られたヒーローであることが分かります。
これ以外にも原作者のインタビューは数々の興味深い発言に満ちていますので一読をお勧めします。
まず、ボンドが「アメコミでは敵も味方も死なない」ことを問題視しています。
これは即ちアメコミヒーローは数十年にわたって連載されることもあって、結局ヒーローのキャラクター性が変化しないことから来ているのでしょう。
しかし、ニンジャスレイヤーではキャラクターが変化します。1部から3部に至るまで、少なくとも劇中では三年が経過しており、主人公フジキドの心理や立ち位置も大きく変化しています。これはボンド・モーゼズがニンジャスレイヤーを単なる「キャラクター」ではなく、一人の人格として扱っているということでしょう。
この二人が目指す「ニンジャ型ヒーロー」とは果たして何なのでしょうか。
三部におけるフジキドの変遷からおぼろげながら見えてきた気がしますが、まだ結論が出ているのかは分かりません。
ボンドとモーゼズの考える新たなヒーローの姿、きっとそれはこれからニンジャスレイヤーを読んでいけば明らかになることでしょう。